過去のログ 平成13年 9月


責任とれません! 投稿者:名前は出せません!(笑) 投稿日:2001/09/09(Sun) 23:27 No.506   HomePage
http://www.geocities.co.jp/Milano/6115/masa/dango/dango.htm


ままんこ〜 bonso - 2001/09/10(Mon) 00:02 No.508   HomePage

何ばしよっとね〜?
北海道のまましゃん(笑)

jurinko ままんこ〜!(笑)

そなたのHPなのじゃ


え? まま - 2001/09/11(Tue) 23:09 No.540   HomePage

bonsoりん!なんか勘違いしてなぁ〜い?
言いがかりだわl;あ〜!
私じゃないってばぁ〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!


はははは bonso - 2001/09/11(Tue) 23:29 No.541   HomePage

ふん、言い逃れしようとも、

そなたのホームページアイコンが、
だんごのままになっておるのじゃ!(笑)

あほや、あほやぁー、うひゃひゃひゃ。


気づかれたか・・・ まま - 2001/09/12(Wed) 07:46 No.545   HomePage

気が付いてたんだけど…(失敗!失敗!)
たぶん、わかるまい!と思った私は、甘かった…!
さすがだわ!あなた…


ふっはっはっは bonso - 2001/09/13(Thu) 23:58 No.550   HomePage

恐れ入るがよい。
んでは、私は明日の晩から久々に熊本に遊びにいって、
15日の隼しゃんのトークショーを、グリズリーようたりん達と共謀して、
まるで総会屋の様に、ヤジでも入れてくっかね〜。Ψ(`▽´)Ψ ひひひ・・


古代への梯子 投稿者:おじさん 投稿日:2001/09/11(Tue) 01:55 No.529  
>在位12年という年数の根拠が薄弱であることは
分かるのですが、それほど“無理がある”こと
なのでしょうか?

古代天皇の活動時期を統計的に推測する方法は
戦前の栗山周一氏に始まり、安本美典氏と
平山朝治氏によって発展させされたものです。
安本美典氏は@平均在位年数を10年として
A「日本書紀」に記された在位年数の長短に比例
させて増減を加えるB「古事記」に記された享年に
比例させて増減を加えるC「日本書紀」「古事記」に
記された各天皇についての記事の量に比例させて
増減を加える
@-Cの原理にもとづいて古代天皇の活動時期
を推定されています。
平山朝治氏は最小二乗法を利用して古代天皇の
活動時期を推定されました。
(回帰直線y=10,34x+256,72
一世代10,34は安本説とほぼ同じ)

安本美典氏、平山朝治氏の研究は古代史を
考える上で、「明確な座標軸」を与えるものであり、
両氏の業績を無視した古代史は無価値であると
考えます。
しかし、アマテラスオオミカミからカンヤマト
イワレビコの系図に、この方法を「適用」
するのは無理があると思うのです。
なぜなら、『大和朝廷のデータから推定した
平均在位年数を、大和朝廷以前の人物たちに
適用することになるから』です。

「神武即位以前の神話時代」は
「命の源である樹木」によって、
「太陽」と「台風・大海原」の子孫が
「稲作」を伝え「山の神の娘」と結ばれ
「漁労採集」と「農業」の対立があり
「海からきた渡来系氏族」との混血
によってカンヤマトイワレビコノミコトという
人物が誕生した物語であると考えれば
よいと思うのです。

この物語が『「邪馬台国」の次世代の
支配者が「邪馬台国東遷」にいたるまでの
出来事が神話化したもの』と考えるのは
無理があるように思えます。

個人的にはこの神話は『数百年に渡る
弥生時代の歴史を見事に物語化したもの』
だと考えます。無数の人物の活躍が幾十にも
重なって織り上げられた様々な伝承・伝説が、
数名の人物として語られているように思える
のです。アマテラス・スサノオやニニギ、
海幸山幸らには無数のモデルが存在する
ように思えます。「アマテラス」は二千数百
年前、「ニニギ」は何十世代に渡ったのかもし
れませんね。

(アマテラスオオミカミの神話は確かに
魏志倭人伝の記述と相似形の部分が
多々あります。「卑弥呼の伝承が神話化
してアマテラスオオミカミの神話となった」
とする仮説は、豊富性に富む(この仮説で
うまく説明できる事実が多数有る)ため、
優れた仮説であると思います。ただ、
問題点もあります。
「邪馬台国」と「大和朝廷」の関係についても、
「邪馬台国東遷→大和朝廷」説が最も簡潔で
優れた仮説であると思います。やはり、
問題点もあります。
この点については、次ぎに・・。)

>“岩戸隠れ”(=皆既日食)を挟んで立つ二人の
巫女王、卑弥呼 と壱与が8:2くらいの割合で
ブレンドされたのが、アマテラス のイメージとなった
のではないでしょうか。

すると、狗奴国王がスサノオ、
「岩戸隠れ」が卑弥呼の死亡の神話化、
復活したアマテラスが壱与(台与かも)
と考えることができますね。

>同番組でそういうシーンはなかったでしょうか?

すいません、忘却してしまいました。
誰か、ビデオもってないかなぁ。


宇佐に戻ってきました おじさん - 2001/09/11(Tue) 02:37 No.532  

壱与は台与の誤記では?
とする説が有力であるようです。
台与(とよ)だとすると、
「万幡豊秋津師比売命」
「豊玉毘売命」らの名前も
音が一致しますね。

また豊国も思い出されます。
豊前は福岡県東部と大分県北部に
相当し、豊後は大分県の中部・南部
です。
豊国は「台与の国」の意であるとも
考えられますね。


♪壱与はまだ16だから〜 こさむ - 2001/09/11(Tue) 11:34 No.536  

>壱与は台与の誤記では?とする説が有力であるようです。

それと関連してるかどうか分かりませんが、邪馬台国についても
『魏志倭人伝』では“台”ではなく“壱”の旧字が充てられてい
るそうですね。
古田武彦教授はこの点に着目し、『邪馬台国はなかった』を書い
ています。ただ「ヤマタイ国ではなくヤマイチ国と呼ぶべきだ」
と主張しているだけなのですが(笑)
そしてそれに対抗して、安本美典教授も『邪馬一国はなかった』
でカウンターパンチを…。
東日流外三郡誌論争といい、この二人よっぽど仲悪いのですねぇ(笑)

壱与(台与)も“イヨ”と読むのか“トヨ”と読むのかはっきり
しませんね。もし“イヨ”であるなら、やはり愛媛県の“伊予”
という地名と密接な関わりがあるということになるのでしょうか。


センチメンタル・・ おじさん - 2001/09/12(Wed) 08:07 No.546  

最古の三国志版本「紹興本」(南宋初期頃)
では邪馬壱・壱与となっているけども・・

邪馬台と邪馬壱については

@日本書紀では神宮皇后を卑弥呼と
 している。つまり、当時の魏志倭人伝
 (三国志「魏書」倭の条)は邪馬台となっていた
 と考えられる。
A宋本「太平御覧」では、魏志倭人伝の
 引用で邪馬台となっている。
B「後漢書」「梁書」「北史」すべて
 邪馬台となっている。
C日本語では母音衝突はすくない

@ABCなどから、邪馬台説が一般的
です。

古田説の問題点については
安本美典著 新人物往来社
「古代九州王朝はなかった」
で、多数の学者の反論を引用して
詳述されていますね。

壱与か台与か

@宋本「太平御覧」では、魏志倭人伝
の引用で台与
A「梁書」「北史」すべて台与
B「日本書紀」「古事記」にトヨ
  は女性の名前で多数出るが
  イヨはない。女性名の出現率
  からトヨが妥当
C邪馬「台」→邪馬「壱」と同一の
  誤刻と考えうる

@ABCなどから、台与か説が有力で
あるようです。

でも、良心的かつ科学的であるなら、
説はいくつあってもよいと思います。
「仮説」なのですから。
「仮説」にはそれぞれ一長一短があり、
それぞれ魅力がある。

東大井上光貞氏の
邪馬台国東遷説
アマテラス=卑弥呼説

早大水野佑氏の
大和朝廷狗奴国説
カンヤマトイワレビコ
狗奴国王説

出雲強国説

出雲宗教文化圏説

それぞれ魅力的ですね。

>愛媛県の“伊予”
伊予が古い地名なら、おもしろい説ですね。
伊予の語源はなんなのでしょうか


携帯アクセス 投稿者:bonso 投稿日:2001/09/11(Tue) 00:13 No.528   HomePage
健全な質問がありますー。(ё_ё) 清らかな目

やまおさんは携帯電話からアクセスしてくださっているのですが、
このHP、というか掲示板は、どのようにして見つけられたのですか?
携帯電話の検索エンジンに登録されていたりするのでしょうか。

サイト運営の参考にしたいと思います。よろしければ教えてくださいマセ。

また、
インターネット喫茶等でパソコンからブラウズの機会がありましたら、
ぜひ「ミラクル3」で検索して、本サイトの方もご覧くださいね。
拙い昭和マンガ・怪獣ヨタ話日記なども、用意してあるのですヨ。


清らかよー(爆笑) やまお - 2001/09/11(Tue) 10:47 No.535  

掲示版に趣味別で載ってましたよ。
(星野作品談義に食い付いてしまいました。おほほほ)ただ今台風真っ只中です。庭20〜30センチほど水が溜まり床下浸水になりかけましたが、無事回避。もし避難するにしてもどの本を持って逃げようかと真剣に考えていました。
と食べ物と洋服と化粧品(素顔世間には晒せない)とー・・・って全部じゃん。


移動書斎 bonso - 2001/09/12(Wed) 00:16 No.542   HomePage

清らかな質問にお答えいただき(笑)、ありがとうございます。
この形式の掲示板にしてからまだちょうど2ヶ月なのですが、
もうどこかに登録されているんですね。早いなあ。

台風被災のお見舞い申し上げます。魔窟は無事でしたか?
こちら私の地元大分では、一昨日からカンカン照りの良いお天気が続き、
もー暑い、暑い。すっかり台風のことを忘れてしまっておりました。

> どの本を持って逃げようか
30年も前から、ずっと捨てずに大事にとってある本ばかりですからね。
いざという時のこと、私もたまに考えたりします。

・・バスを買って、いつでも逃げられる移動倉庫にしておくとか(笑)。


アイコン第12弾 投稿者:bonso 投稿日:2001/09/10(Mon) 01:01 No.512   HomePage
出来ました。久々〜。今回は 〜

ジョージ秋山「銭ゲバ」より、蒲郡風太郎。

どろにまみれて どろんこ命 〜 真実一路の 道なれど 〜


続いて第13弾 bonso - 2001/09/10(Mon) 01:02 No.513   HomePage

同じくジョージ秋山「ばらの坂道」より、土門 健 。

マイナーやぁ、また、マイナーキャラクターやぁ! うひゃひゃひゃ!(発狂)。


さらに第14弾マタンキ bonso - 2001/09/11(Tue) 00:08 No.526   HomePage

今度は趣向を変えて、
とりいかずよし「トイレット博士」より、スナミ先生。

今こそ、時代はこんな先生を必要としているのだッチ。友情マタンキ!


悪魔の所業 投稿者:やまお 投稿日:2001/09/09(Sun) 03:40 No.500  
○ック・オフは買い取る段階でプロパー(半額)・C(100円)本・廃棄本(捨てる)に振り分けてます。(山梨静岡相模原直営店と本社に限定)買い取りする人次第なので本に興味無いバイトさんは手塚作品永井作品だろうが"汚ーい"で平気で捨てます。本の知識がある人が1割いたら凄いです。シリアルNo入り"ふくちゃん豪華本"も研磨機の試し磨きの粉と消えたし。経営者か(甲府の社長と長女の婿と次女と長男は)[本が売れればどーうでもいい、文化的価値なんてあるわけない]的な人なので、大方の社員もそんな考になるの?って言うか山梨の歴代店長8人位金持って逃げちゃったし。本好いるのかな?


そういうわけだったのか こさむ - 2001/09/09(Sun) 23:51 No.507  

去年、近くにブック・◯フが開店した折に、
たまりにたまったマンガ文庫本を売りに
行ったことがありました。
かなり重くなったので2回に分けて。
すると、1回目はアルバイトらしき若い女性、
2回目は店長さんらしきやや年配の男性に
買取っていただいたのですが、
冊数もコンディションも大して違ってなかったのに
2回目の買取り金額が倍ほども高かったのですよ。
さして値打モノがあったとも思えず…
そんないい加減なものだったのですね。
これからはカウンターにいる人をよく見てから
売るようにさせていただきます。

最近は、子供の頃に読んだポプラ社の
『怪盗ルパン』『少年探偵』シリーズを
集めるのに凝っています。1冊100円は安い。
けど本当に欲しいのは『ホームズ』なのに、
絶版となったものはさすがに置いてないですねぇ。


ブッ○・オフ bonso - 2001/09/10(Mon) 00:57 No.511   HomePage

えー、ブック・オ○、・・ってもうモロですがな(笑)、
その、ブ○ク・オフは、えー、・・今みたいにインターネットで情報が
行き渡っていると、たいていの古本店ではもう本の価格も似たり寄ったりで、
掘り出し物に出会うことも稀で、全然つまんないのですが、
ブック○オフだけは、大手の割には間が抜けた価格設定の時もあり、
・・と思っていたら、そういう事情があったのですか。なる程、納得です。

昨年、中央公論社の愛蔵版「ゲゲゲの鬼太郎」全5巻(キレイです)が
1冊100円 = 計500円で置いてあったのを見た時は、
すぐさまひっつかんで(笑)、1册1000円の間違いではないのかと、
店員さんに確認してから購入しました。

サイフ的にはラッキーですが、作品的には寂しい気持ちになりましたねえ。

> ポプラ社の『少年探偵』シリーズ
いいですね。小学4年時に、学校図書館にある分を完読しましたよ。^/^


再びブック・○フねた やまお - 2001/09/10(Mon) 02:51 No.514  

今のブッ○・オフは相模原と甲府の共同経営者が分裂したので 山梨・神奈川・静岡の範囲の情報ですが山梨の少年プロパーの販売価格は250円他の県は200円。理由:相模原本社からきた社員が[山梨全体の売り上げが良いから値を上げしよう!と値上げしてました。が、その社員も結局解雇になり本の値段だけそのままの状態で現在に至ってます。
社長の娘も自分担当の店の売り上げ落ちると社員バイトの責任にして、大○店は一度に10人富○吉田店は13人甲○一号店はで全員無理やりクビにして監督署に訴えられてしまい結局北海道移動になってました。これじゃ従業員成長しないわな。


オロ・デ・レイ bonso - 2001/09/10(Mon) 23:59 No.525   HomePage

なんか、伏せ字がいっぱいでデンジャラスな香りが漂ってきました(笑)。
と、とりあえず、このネタはひとまず間を空けといた方がよろしいような。
次やる時には、完全伏せ字でいきましょうかね・・。

代わりに、
上に、やまおさんへの健全な質問スレッド(笑)を作っておきますね。


古代史の旅プチ 投稿者:bonso 投稿日:2001/09/09(Sun) 00:58 No.498   HomePage
「古代史の旅3(No.485)」の続きスレッドを用意しましたよ〜。
いえ、表立って「〜 旅4」とうたう知識と力量がありませんもので、
とりあえず、遠慮がちに「プチ」としておきました(笑)。

卑弥呼を天照大神に見立てて、皆既日食を天の岩戸開きの神話に
なぞらえたのは、手塚治虫先生の「火の鳥」黎明編で読みました。
・・が、なる程、マンガ作品内の空想だけにとどまらない説が、
他にもたくさんあるのですね。

欠史八代が、100年くらいずつも在位していたというのは、
権威を長く保つために影武者を使っていたとかの説はないのでしょうか?

・・ま、まさか的外れな発言だったでしょうか。どきどき(笑)。


♪紀元は二千六百年 こさむ - 2001/09/09(Sun) 05:52 No.504  

>欠史八代が、100年くらいずつも在位していたというのは、
 権威を長く保つために影武者を使っていたとかの説はないのでしょうか?

おおっ、在位年数を事実とする説ですね?それは新しいかも(笑)
しかしそれはさすがに無理がありますよ。
それだと神武即位年が紀元前660年で正しいということになって、
大和朝廷の発足が邪馬台国の時代(中国では三国時代)はおろか、
秦の始皇帝の中国統一より400年以上遡る周王朝末期の春秋時代
にまで達してしまいます。

ただ影武者とまではいかないまでも、万世一系を疑問視する声は
数多くあり、例えば初代神武から始まる王朝は9代開化で途絶え、
10代崇神からは別系統の王朝とする説もあります。
これは神武・崇神の和風諡号(贈り名/神武・崇神は漢風諡号)が
共にハツクニシラススメラミコト(始国天下之天皇・御肇国天皇)
といい、“初めて国を統治した天皇”という意味になるからです。
またこのことが、欠史八代説の神武=崇神同一人物説の論拠とも
なっているようですね。

また私が面白いと思っているものに天智・天武非兄弟説というの
があり、天智の弟とされる天武が実はまったく赤の他人で、天武
系八代は皇位が天皇家以外の人間に乗っ取られていた時代、とす
る説があるのです。このことについても機会があれば、じっくり
語ってみたいと思います(笑)


コダイゴン bonso - 2001/09/10(Mon) 00:05 No.509   HomePage

こさむさん、ご指摘どうもありがとうございます。
うむっ、やはりまだ把握出来ていないままの発言でしたネ。がはははっ。
でも、きっとこれで良いのです。聞くは一時の恥。
こうして少しずつ学んでいくことといたしましょう。

> 機会があれば、じっくり
あ、そこら辺、もう機会だらけですんで、ご存分にどうぞ(笑)。


桃太郎さん おじさん - 2001/09/10(Mon) 03:34 No.515  

「権威を長く保つために影武者を使っていたとかの説」
興味深い仮説だと思います。ただ、
大昔のことなので、検証はむずかしい
のではありますが。
おおきみについてはともかくとして、
景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に
二百数十年仕えたという「武内宿禰」
(蘇我・葛城・巨勢・平郡氏の祖とされる)
はそうだったのかも知れませんね。
蘇我馬子のご先祖とされ、そのお墓と
される石舞台古墳のそばには、竹内
街道があります(暗黒神話のあの人ですね!)。

長寿といえば、高句麗長寿王(在位AD412-491,
高句麗好太王の子)なども有名ですが、
日本のおおきみも恐るべき長寿です。
干支で没年が記録されていたため、
一回り引き伸ばすと60年延長されるため
でしょう(十干×十二支=60)。

崇神天皇は即位が信頼度99%で
332,6-405,8となり、いわゆる崇神天皇陵
(ニサンザイ古墳)は考古学的には
4世紀中頃から後半にかけての築造
とされており、よく一致しています。
また、崇神天皇が派遣したいわゆる
「四道将軍」のひとりで、山陽へ派遣
された大吉備津彦命の墓は中山茶臼山古墳
とされていますが、ニサンザイ古墳と
中山茶臼山古墳は相似比2対1の
相似形です。同じ設計図を用いて築造
されたものと思われます。
(ニサンザイ古墳の全長は晋尺で
1000尺,中山茶臼山古墳は500尺)
崇神天皇と大吉備津彦命は文献学的に
同時代人であり、その墓とされる古墳は
考古学的に同時代のものと考えられて
いるわけです。崇神天皇と大吉備津彦命の
実在を説き、その事跡を史的事実と
みる説にとっては有力な材料です。

大吉備津彦命は弟の若日子建吉備津彦命
とともに、吉備津神社に祭られており、
「桃太郎さん」のモデルですね。

山陽といえば、吉備津神社、厳島神社
山陰なら出雲大社でしょうが、
「オオナムチ(大国主)の引退と国譲り
の条件として出雲大社がつくられた」
という話は中央でつくられた古事記、
日本書紀の記事であり、出雲の伝承を
伝える「出雲風土記」には
タカミムスビではなくカミムスビの命に
よってつくられたとされており、
いわゆる「国譲り」と出雲大社の造営は
全く無関係とされています(オミズヌの
国引きの後とされている)。
古事記、日本書紀の解釈のありかた
に大きな示唆を与える一例と考えられます。


続き おじさん - 2001/09/10(Mon) 03:57 No.516  

ただ、出雲大社社殿の造営については、
古事記、日本書紀に繰り返し登場しており、
古事記の垂仁記にはオオナムチが
夢に現れたので、出雲大社社殿を造営
したとする記事があります。
朝廷がオオナムチの祭祀を重視していた
のは間違い無いことです。こさむさんの
指摘された「大国主の “魂鎮め”」は
大変重要な視点です。
また、「出雲風土記」ではスサノオもオオナムチも
どちらかといえば地方色の濃い、地味な
描かれようなのに、古事記、日本書紀
ではきわめて壮大な描かれかたを
しているのはなぜでしょうか。


オリエント起源説 おじさん - 2001/09/10(Mon) 05:37 No.520  

「ヤマタノオロチ退治」は古事記、日本書紀に
詳しく、「出雲風土記」には「クシイナダヒメ」
と似た名前の「クシイナダミトヨマヌラヒメ」
が現れるのみです。

「竜退治」の伝説は、ギリシア神話にちなんで
「ペルセウス・アンドロメダ型神話」とよばれて
いますが、世界中に分布しており、様々な
解釈があるようですね。

「竜神イルルヤンカシュは食べて飲んだ。
彼らはどのカメも飲み干して渇きを癒した。
嵐の神ケルラシュが来て、動けなくなった竜神
イルルヤンカシュを殺し、神々は彼とともにいた。」
(ヒッタイトの神話)

嵐の神ケルラシュの別名はインドラ(帝釈天)ですね。
ヒッタイト(BC2000-1200)は製鉄で知られていますが
オロチの尾から現れたのは「天叢雲剣」であり、
興味深いものがあります。


桃太郎の“鬼” こさむ - 2001/09/10(Mon) 20:16 No.523  

“サンカ”あるいは“セブリ”と呼ばれた一族がルーツであると
いう、大正生まれの歴史研究家・八切止夫氏は、その著書『サン
カ生活』の中で、幼い頃の興味深いエピソードを語っています。

ある日、友達から『桃太郎』の絵本を借りて読んでいたところ、
祖母が怖い顔をして「わしらの頭に角が生えているか!」と怒っ
て取り上げてしまい、借りて来た家へ文句を言って返しに行き、
「善玉と悪玉が逆になっとる…」とぶつぶつ言っていたとか。

大正時代にはまだ、『桃太郎』のお話を鬼(=まつろわぬもの)
側の視点から読み、天津神によって土地を奪われた国津神の子孫
である、という明確な認識を持った人々がいたのですね。


古代史の旅3 投稿者:おじさん 投稿日:2001/09/07(Fri) 03:52 No.485  
>『ヒメ』という呼び名だけで了解できる、根源的な
女性が存在した ということではないでしょうか?

非常に優れた御見解だと思います。
比売大神は個人ではなく、ある種の役職の
ようなもので、特別な巫女を指す言葉なのかも
知れません。比売大神は複数の人々だった
のでしょうか。

「天照大神=卑弥呼説について」
白鳥庫吉、和辻哲郎、栗山周一、和田清、
井上光貞らの諸氏がかつて主張し、
最近では安本美典氏が細密に検討され、
主張された説です。
すぐれた仮説であるとは思いますが、
個人的には今一つ納得できません。

安本美典氏は天照大神と卑弥呼の活動
時期が一致するとされています。
確かに、平山氏(筑波大学)の推定でも
天照大神の推定即位年はAD224,3年、
信頼度99%でAD176,7-271,9年となって
いるのですが・・(To be continued.)。


卑弥呼以死 こさむ - 2001/09/07(Fri) 04:21 No.488  

>卑弥呼が没したのは248年頃とされているからです。

この248年という年は、卑弥呼の死因に密接な関わりを持つと考え
られる、天文学上の重大な出来事のあった年であります。
皆既日食。─日本列島上で観測できたのはこれ以前では90年前の
ことであり、文書による記録も持たない当時の人々にとっては、
まさに史上空前の天変地異に感じられたことでしょう。

そして、太陽神に仕える卑弥呼=“日巫女”の神通力が失われた、
と邪馬台国の人々の目に映ったのではないか。
洋の東西を問わず、超自然的な力を拠り所とする“シャーマン・
キング”は、その力が失われたと見るや、神の怒りを鎮めるため
に民衆によって殺されるケースが少なくありません。

魏志倭人伝にある“卑弥呼以死(卑弥呼以って死す)”の5文字
の前文には、狗奴国との戦闘状況が報告されたのを受けて、魏は
張政を遣わして詔書を授け、檄を作って告諭した、とあるのみで、
肝心の“以って”が何を指しているのか不明(欠落したとも)と
なっています。

これを松本清張は、狗奴国への敗戦の責を負うため魏の張政の命
(檄告喩之)によって処刑された、と推理していますが、同年に
皆既日食が起こったことを併せて考えると、卑弥呼の死が自然死
であった可能性は極めて低いと言えるでしょう。

皆既日食─卑弥呼の死─男王への反発による内乱─新しい巫女王
“壱与”の擁立。この一連の出来事が、神話の中でアマテラスの
『天の岩戸隠れ』として表現されているのではないでしょうか?

ってこれは井沢元彦の著作からのまんまパクリなんですけどね(笑)


欠史八代は実在したか? こさむ - 2001/09/07(Fri) 07:39 No.489  

>一般に神武天皇は実在しなかったと説明
 されているが(いわゆる欠史八代説)

初代神武と第10代崇神を同一人物とし、第2代綏靖〜第9代開化
はまったく架空の存在とする説ですね。
これは2代〜9代に関する史実が殆ど記されていないことに加え、
在位年数が異様に長い(第6代孝安は101年)ことからその実在
が疑問視されているようですが、私はこれを逆説的に捉えており、
“だからこそ実在したと言えるのではないか?”と考えています。

欠史八代に限らず、初期の天皇の在位年数は第11代垂仁が99年、
第16代仁徳が86年など、多くが疑わしいものとなっています。
これは神武が即位したとされる紀元前660年が辛酉(かのととり)
にあたり、辛酉の年には革命が起こり新しい王朝が始まるという
中国の讖緯(しんい)説に適うよう定めたもので、この神武即位
年との帳尻を合わせるために、各天皇の在位期間を長くする必要
があったのでしょう。

しかし8名の天皇が架空の存在とするならば、不自然なまでに在
位年数を伸ばしたことへの説明が付きません。むしろ在位年数は
常識の範囲にとどめ、8名と言わず10名でも20名でも創作した
方が無理がなかったはず。

これはやはり8名の天皇の実在が、当時すでに人々の常識として
浸透しており、今さら架空の天皇を増やすなど百年在位した天皇
がいたとするよりもっと“トンデモナイ”ことであったからでは
ないでしょうか?

そんなわけで、私はこの在位年数の不自然な長さこそが、欠史八
代が実在したことの何よりの証拠、と主張したいのですよ。


scientific古代史 おじさん - 2001/09/08(Sat) 04:50 No.492  

91年12月22日放送の「新世界紀行・謎とふしぎの旅
・ヒミコ 空白の世紀」で皆既日食と卑弥呼殺人事件
のテーゼは詳しく紹介されていましたね。

ただ、井沢氏の説かれる説は、「邪馬台国宇佐説」と
「卑弥呼=比売大神説」の部分は、高木彬光氏の
「邪馬台国の秘密」で説かれている説を、
「天照大神=卑弥呼説」と「卑弥呼誅殺説」は
奥野正男氏の「邪馬台国発掘」他の著作で
説かれている説等を参考にされているように思われます。
しかし、皆既日食とAD248年の関係を指摘されたのは
私の知る限り井沢氏か、この番組が最初かと思われます
(この点無論断言できません、先例が有りえます)。

私自身は「皆既日食」が卑弥呼の権威を著しく
損なったとする説は説得力に乏しいと感じますが、
宮廷クーデターのきっかけとなったとする説には
納得できます。
また、古事記の「天照大神の岩戸がくれ」の
描写は正しく日食のそれですね。


>8名の天皇が架空の存在とするならば、
不自然なまでに在位年数を伸ばしたことへの
説明が付きません。むしろ在位年数は常識の
範囲にとどめ、8名と言わず10名でも20名でも
創作した方が無理がなかったはず。

「100%」賛成です。
欠史八代説は古代の天皇の平均在位年数を
約20年とする滅茶苦茶な仮定から導かれる
謬説ですね。確かに徳川時代および現代の
天皇の在位年数の平均は17代で20年なの
ですが、31代用命天皇から80代高倉天皇
までの在位年数の合計は595,66・・・年
であり(39代弘文天皇が在位8ヶ月なので)、
在位年数の平均は595,66÷50=11,9132年
となります。古い時代ほど在位年数の平均値
は小くなる傾向がありますから、古代の天皇の
平均在位年数は12年未満と仮定するべきです。

31代用命天皇は即位AD585年なのですから、
神倭伊波礼毘古尊つまり 「神武天皇」の
即位年は、仮に平均在位年数を12年と
するなら

12年×30人=360年
AD585年-360年=AD225年
となり、大和朝廷の始まり
として充分考えられる年代となるわけです。

もし平均在位年数を20年と仮定すると

20年×30人=600年
AD585年-600年=BC15年
となるため、
20年×欠史八代=160年
AD585年-(600年-160年)=AD145年

このように大和朝廷の始まりを繰り下げる
のが欠史八代説の目的の一つであったわけです
(To be continued.)。


ちょっと一息… こさむ - 2001/09/08(Sat) 12:47 No.493  

我が家の本棚に、『ヤマタイ国は阿蘇にあった』渡辺豊和(京都
造形芸術大学教授)/カッパ・サイエンス という本があります。
『ヤマトの火』『ヤマタイカ』と同じスタンスの本かな?と思っ
て購入したのですが…。

“まえがき”の
> この本は、読者を知的冒険の旅へと誘うものである。私は、
その旅の乗り物として「地球幾何学」を選んだ。(中略)また、
邪馬台国と同じように人びとの古代へのロマンをかきたてる謎の
島・アトランティスの所在地も、やはり同じ手法で発見している。
…この最初の5行を読んで一気に萎え、本を閉じてしまいました(笑)

>しかし、皆既日食とAD248年の関係を指摘されたのは
 私の知る限り井沢氏か、この番組が最初かと思われます

井沢元彦氏の、皆既日食と卑弥呼の死との関連を指摘した小説・
『卑弥呼伝説』は、「週刊小説」誌上で90年11月23日号から91年
4月12日号まで連載されています(単行本発行は91年6月15日)。
少なくとも「新世界紀行」よりは井沢氏の方が早かったようですね。
この小説は当時けっこう話題になっていたようなので、NHK側も
番組作りの参考にしたのではないでしょうか?


天照大神卑弥呼説の疑問点 おじさん - 2001/09/10(Mon) 04:49 No.518  

「ヤマタイ国は阿蘇にあった」渡辺豊和著は
むかし本屋サンで手に取ったことは覚えている
のですが、内容は思い出せません。
「地球幾何学」とは一体どのようなものなの
でしょうね。

申し訳ありません、私の言葉がたりませんでした。
「新世界紀行・謎とふしぎの旅 ・ヒミコ空白の世紀」
はTBSTVの番組で、レポーターは井沢氏だったの
です。「卑弥呼伝説」が番組の原案になっている
のは知っていたのですが、読んでいなかったので
紛らわしい述べ方をしてしまいました。

・・・続き・・・

「アマテラスオオミカミから神武天皇までの系図」

タカミムスビ(樹木)
  
アマテラスオオミカミ
(太陽・太陽の巫女)
  l(姉・弟)誓約-→オシオミミノ−→ニニギノミコト
スサノオノミコト    ミコト   (稲作・天孫降臨)
(暴風雨・台風)   


ニニギノミコト    ホデリノミコト(海幸・漁労)
  l−−−−−−→  l兄弟・対立
コノハナサクヤヒメ ヒコホホデミノミコト(山幸・農業)
(山の神の娘・花   l −−−−−−−−−−−−−
短命の象徴)  トヨタマヒメ(海神の娘・鰐・渡来系?)
               
−−→ウガヤフキアエズノミコト
       l−−−−−→カンヤマトイワレビコ
      タマヨリヒメ  ノミコト(神武天皇)
    (トヨタマヒメの妹)       

☆これを見て思うのは、親→子供へと続く血脈の
系図であることです。
アマテラスオオミカミからカンヤマトイワレビコ
ノミコトまで6人は直系です。

神武天皇以後は兄弟継承が、往々現れますが、
おおきみの位を空位にはできないのですから
当然のことです。

古代の天皇の平均在位年数は12年未満
であるから、アマテラスオオミカミから
カンヤマトイワレビコノミコトまで
12×5=60年と考えるのは無理があります。
大和朝廷のデータから推定した平均在位
年数を、大和朝廷以前の人物たちに適用
することになるからです。

「天照大神=卑弥呼説」は、天照大神の
推定活動時期が、卑弥呼の活動時期と
一致することが根拠の一つとされています。
しかし、私には大和朝廷のデータから
天照大神の活動時期を推定するのは
無理が有るように思えます。


卑弥呼+壱与=天照大神? こさむ - 2001/09/10(Mon) 15:52 No.521  

え〜ん計算式で攻められるとお手上げですぅ(笑)
で、反論というほどでもない(つーかできない)のですが、平均
在位12年という年数の根拠が薄弱であることは分かるのですが、
それほど“無理がある”ことなのでしょうか?
とするとおじさんの見解としては、アマテラスのモデルとなった
のは卑弥呼よりずっと後の時代の人物、とお考えなのでしょうか?
(神功皇后とする説もありますね)

私が思うには、神武即位以前の神話時代については、大和朝廷に
征服された国々の土地神話も融合され、その整合性を図るために
無理に系統立てた感もあり、アマテラスオオミカミ〜カムヤマト
イワレヒコノミコトにいたる系図は記載そのままに解釈する必要
もないのではないかと考えています。
系図にとらわれず、それぞれのエピソードを分割して個々に推測
した方が良いのではないでしょうか。
…ってこういうのを“ご都合主義”って言うんですよね(笑)

ただ卑弥呼とアマテラスをまったくイコールで結ぶのも、やはり
少々乱暴すぎると言えるでしょう。
私は以前から、“宗女・壱与”とは何者か?が気になっています。
卑弥呼の死後王位に就いた“男王”については、スサノヲとも神
武とも云われていますが、卑弥呼の後継者である壱与についても
当然、神話の中にそのイメージが残されていていいはず。
“岩戸隠れ”(=皆既日食)を挟んで立つ二人の巫女王、卑弥呼
と壱与が8:2くらいの割合でブレンドされたのが、アマテラス
のイメージとなったのではないでしょうか。


古代史の旅・ポチ こさむ - 2001/09/10(Mon) 16:11 No.522  

>「地球幾何学」とは一体どのようなものなのでしょうね。

今度頑張って読破してみます。けどこの本、どうも“トンデモ本”
の匂いがプンプン漂ってくるのですが(笑)

>「新世界紀行・謎とふしぎの旅・ヒミコ空白の世紀」はTBSTVの〜

あ、そう言えば『新世界紀行』はNHKじゃなくTBSの番組で
したね。失礼しました。
それで思い出したのですが、出雲大社と宇佐神宮の“四柏手”に
ついては、井沢元彦氏の著書を読む前に、TV番組で知ったのが
最初でした。確かTBS系列だったと記憶しているのですが…。
同番組でそういうシーンはなかったでしょうか?